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福岡高等裁判所 平成8年(う)243号 判決 1996年12月16日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

第一  本件控訴の趣意は、弁護人辰巳和正、同森統一及び同前畑健一が連名で提出した控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官細田美知子が提出した答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第二  市長選挙との関係に関する事実誤認の主張について

一  所論は、要するに、原判決は、被告人が、平成七年一一月施行予定のA県T市長選挙に関し、同年八月九日ころから一二日ころまでの間、同市内の居住者等原判決別表記載の一六三名の者に対し、各現金五〇〇〇円の寄附をした旨認定しているが、右現金の供与は、被告人が、T市の行う公務たる初盆参りの一環として、初盆家庭に御仏前を供えたものにすぎず、右T市長選挙とは無関係に行ったものであるから、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示事実のとおり、被告人による、右現金五〇〇〇円の供与は、一一月に予定されていたT市長選挙に関してなされたものであるとの事実を認めることができ、原判決が、その理由につき「弁護人の主張に対する判断」の二、三項において説示するところも、正当としてこれを是認することができる。

二  以下、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討することとする。

1  関係証拠によれば、次の事実が認められる。

(一) T市及びその周辺地域では、初盆参りの風習があり、T市においては、被告人が市長になった昭和五〇年以前から、市として初盆家庭に弔意を表すために、毎年八月一〇日前後ころに市長や職員が公務として初盆参りをする行事が続けられてきたが、その実施の具体的状況は毎年同一ではなく、T市内の初盆家庭およそ三〇〇軒の中から特定の初盆家庭(市の功労者、職員、被告人の同級生関係等の初盆家庭や、被告人の出身地区であるB地区の全初盆家庭)おおむね五〇ないし八〇軒を選別したうえ、これらの家庭に対して、公費(市長交際費)で盛り篭・ギフトセット又は御仏前(現金)を準備し、市長である被告人が直接これらの家庭を回って初盆参りを行い、これらとともに、公費(市長交際費)によって購入した五〇〇円前後の線香ろうそくセット又はお茶を各家庭に供えていたことは、各年ほぼ共通していたものの、それ以外の実施の内容は年毎に異なっていた。

すなわち、従前、右特定家庭以外の初盆家庭に対しては、おおむね、当該地区出身の課長等が市長の代理として回り、公費で準備された線香ろうそくセット等を供えていた(もっとも、この課長等による初盆参りは、当該課長において、出身地区に知り合いの初盆家庭もあって私費による御仏前の提供を余儀なくさせられるなどの負担を強いられることから、平成二年以降は中止されている。)が、昭和六二年以降についてみれば、同年、昭和六三年、平成三年及び平成七年には、被告人自ら市内のほぼ全部の初盆家庭を回って初盆参りを実施した。そして、その際、被告人は、右線香ろうそくセット等を全戸に供えたほか、昭和六二年には、私費で準備した二〇〇〇円程度の果物篭と二〇〇〇円又は三〇〇〇円の御仏前を、公費で賄われる家庭以外の全初盆家庭にも供え、平成七年の本件初盆参りの際には、公費による御仏前(現金)は準備されず、公費により盛り篭等が供えられた家庭以外の二三八軒全部に対し、現金一一九万円を私費から出捐して各現金五〇〇〇円の御仏前を供えた。昭和六三年と平成三年については、被告人が私費により御仏前を供えた家庭はさほどではなく、昭和六三年については、初盆参りの実施を担当していたC秘書係長(当時)もこれを把握しておらず、被告人が個人的にある程度の数を準備したにすぎず、平成三年も、五〇ないし一〇〇軒程度の家庭に二〇〇〇円ないし三〇〇〇円の御仏前を供えた程度のものであった。

また、初盆参りのために盛り篭等、御仏前及び線香ろうそくセット等の購入に要する費用として市長交際費から支出された額は、毎年およそ三〇万円前後であったが、平成三年には四〇万六〇〇〇円余り、平成七年には五二万一〇〇〇円余りが支出されている。更に、昭和六二年から平成六年までの間、御仏前として公費により供えられた金額は、例年、一軒当たり二〇〇〇円ないし三〇〇〇円であり、五〇〇〇円の御仏前が供えられたのは、平成元年、平成三年に各一軒、平成二年に四軒あるにすぎない。

(二) ところで、被告人は、昭和五〇年一一月実施のT市長選挙に初当選して以来、四年毎に市長選挙の年を迎えてきた(昭和六二年以降では、同年、平成三年、平成七年がこれに当たる。)が、昭和六二年と平成七年を除いて、対立候補者はなく無投票で当選してきた。昭和六二年一一月実施の市長選挙においては、Eが対立候補として立候補したが、右市長選挙に先立つ同年四月のA県議会議員選挙において、Eが支持していたFが、被告人の応援するO候補を破って当選するということがあった。平成七年一一月実施の市長選挙に関しては、被告人は、既に同年三月ころ、選挙に長けた右Fが立候補する意向を有していることを仄聞していたが、Fの同級生であった、被告人の弟二郎から、次の選挙は被告人にとって厳しいのではないかと忠告されており、Fの誘いに応じて同人と会食した際、立候補の調整を試みたものの、折り合いがつかなかった。Fは、被告人が次期市長選挙への立候補表明をしたのちの同年六月二〇日、同選挙への立候補の意思を明らかにし、更に、T市議会議員のMも、同年七月二九日立候補を表明するに至り、被告人の身近で日常仕事をしていた秘書係長のDは、被告人が次期選挙に危機感を有していることを感じとっていた。

(三) 本件初盆参りにつき、被告人は、同年七月上旬、出勤途中の公用車内において、秘書係長のDや運転手のGに対して、初盆家庭を全部回るつもりである旨を伝えたが、同人らは、かねて、今年は選挙の年であるから、被告人自ら全部の初盆家庭を回ることになるであろうと予想しており、被告人が、初盆参りの実施中、在日韓国・朝鮮人家庭四軒のうち三軒の家庭を訪れなかったことについても、被告人を案内した三名の課長や、N総務課長、D秘書係長らは、いずれも、在日外国人には選挙権がないためであると理解していた。また、被告人の初盆参りにおいて、市内の地区毎に被告人の案内を担当した当該地区出身の課長らは、それが勤務時間内であった場合には、助役の指示に基づき、案内するにつき休暇をとって参加した。

(四) 本件初盆参りにおいて、被告人自らが初盆家庭の全戸を回ること、その際、公費によって賄われる分以外に、全家庭に私費による御仏前として五〇〇〇円ずつを供えることを決定したのは、被告人自身であり、これを供えるについて、被告人は、D秘書係長に対し、事前に、不祝儀袋の表示として、それまでの「T市長」ではなく、被告人の個人名を用いたい意向を告げ、同係長が、被告人に「T市」の表示が妥当である旨伝えたのに対しても、自ら「T市長」の表示をする旨決めた。また、初盆参りの途中、在日韓国・朝鮮人家庭を回るに際し、その二軒については、案内役の課長が在日韓国・朝鮮人の家庭であるが、回るかどうか尋ねたのに対して、回らなくてもよい旨答え、その二軒を含め三軒の在日韓国・朝鮮人家庭には初盆参りを実施しなかった。

更に、被告人は、初盆参り後の同年九月一三日の市議会定例本会議において、同年の初盆参りやこれに対する私費支出の当否について質問されたのに対し、「平生は大体市の関係者とかそういう方々を毎年回ります。毎年大体七〇~八〇戸ぐらいではないかと思います。今年はお分かりのようにこういう時期でありますので、やはり全市民を対象に初盆参りをしようということでスケジュールをつくりまして、……」(右にいう「こういう時期」とは、市長選挙を控えた時期の意味と理解される。)、「今度は選挙の年だから市長が全部回った。それも公費で全部ご仏前を支出したということになると、これはあなたの言われるように公費でですね。市長として回った。それは理解を市民がしてくれるかどうかという問題になりますけれども、私としては、例年のとおりの関係者だけには公費で、そして残りについては私のお金でというふうに区別をしました。」と答弁し、本件の捜査段階においては、ほぼ一貫して右初盆参りにおける御仏前の供与と選挙との関係を肯定する供述をしていた。

2(一)  所論は、まず、本件初盆参りは、従前からT市長又は職員らにおいて慣習として全戸を回ることを原則として行われてきており、本件初盆参りは、被告人が公務の一環として実施したものであって、市長選挙との関係はない、というのである。

しかし、右認定事実によれば、T市の代表として市長の行う初盆参りが、従前から慣習的に行われてきており、それ自体が公務としての性格を有することは否定できないにしても、被告人が、これまで初盆参りにおいて公費により盛り篭や御仏前を供えてきた特定の家庭の中には、被告人の出身地区内の全初盆家庭が含まれ、また、被告人の同級生等が選別の一基準とされてきたのであって、公費支出の内容にも被告人の個人的な利害を反映した点が認められるうえ、被告人によって行われてきた初盆参りの具体的な実施の状況は、四年毎に行われる市長選挙の情勢と密接な相関関係が認められるのであり、特に、本件初盆参りのそれは、被告人自身が初盆家庭の全部を回っている点、例年に比べ多額の公費が支出されている点、公費分以外に被告人が私費による御仏前を全家庭に供えている点、御仏前の金額も例年に比べて多額である点等において、特異なものであるばかりでなく、同年実施予定の市長選挙をめぐる情勢、初盆参りに携わった市職員の認識、本件初盆参り前後の被告人自身の言動等の事情をも併せ考慮すると、被告人が本件初盆参りに私費を投じて御仏前を供えたのは右選挙との関係においてなされたもの、すなわち、市長選挙における自己の得票増を目論んでなされたものと認めることができる。

そして、関係証拠によれば、所論主張のとおり、本件初盆参りが、T市総務課の主管の下に行われ、秘書係職員がその準備を遂げ、実施段階においても市の課長等が被告人の案内をするなど、すべてに市の職員が関与し、公用車を使用して実施され、被告人の供えた御仏前には「御仏前・T市長」と表示され、これが公費により購入されたお茶とともに初盆家庭に供えられたことなどの事実が認められるけれども、前記認定事実に照らせば、これらは、被告人の本件寄附行為が市の初盆参りの行事に仮託してなされたことを示すものではあっても、これらの点を根拠として、本件初盆参りにおける被告人の御仏前の供与が公務の一環としてなされたものと認めることはできない。

(二)  所論は、T地方において、初盆参りに際し、五〇〇円程度のお茶しか供えないのは、非常識極まりなく、それ以外に御仏前に供える必要性が認められるところ、本件初盆参りにおいては、市長交際費からこれを賄う余裕がなかったため、被告人はやむをえず自費でこれをてん補したにすぎず、被告人の私費の出捐は市への贈与にほかならない、というのである。

しかし、原判決が説示するように、初盆参りが市民への弔意を表することを主眼として行われるのであれば、お茶程度のお供えしかしないことが非常識であるとは到底考えられないところであり、現に、被告人が初盆家庭のほぼ全部を回った昭和六三年と平成三年には、被告人は、特定の初盆家庭以外には、その一部についてのみ私費による御仏前を供え、その余の家庭に対しては、四百数十円の線香ろうそくセットしか供えておらず、被告人自身が全初盆家庭を回らない場合において、課長等が代理として初盆家庭を回る際には、市としては、線香ろうそくセットしか準備せず、そのほかに御仏前等の手当てはしていないのであって、市又は被告人として、お茶程度しか供えないことが非常識であると認識していたわけではないことが認められる。そして、真に、T市として御仏前を供える必要性があり、市長交際費によってこれを賄う余裕がないのであれば、別途予算措置を講ずべきであり、被告人による私費の出捐と市長選挙との関連が強く認められる本件において、被告人が私費を投じたことを市への贈与であるとして正当化することはできない(なお、もし、被告人の右出捐が、市への贈与であるとすれば、そのこと自体公職選挙法一九九条の二の寄附禁止の規定に違反するおそれがあることになろう。)。

(三)  所論は、平成四年から平成六年の三年間は、被告人自らが全部の初盆家庭を回るということはしていないが、これは、被告人の健康状態を憂慮した総務課(改組前の人事秘書課)が市長による初盆参りの範囲を縮小したことによるものであり、被告人としては、それ以外の家庭については、市職員が市長の代理として、行っていたものと認識していたのであり、本件初盆参りにおいて、被告人自身が全家庭を回ったのは、市民の要望に応えて原則的な実施の形態に戻したにすぎないのであって、市長選挙を念頭に置いたものではない、というのである。

しかし、本件初盆参りの当時、被告人の健康状態が前年までの状態に比べ回復したとの証跡はなく、それにもかかわらず、本件初盆参りにおいて全戸回りが実施されていること、市長自身による全戸回りが原則的形態であり、市民の要望に応えて本件初盆参りが実施されたものであるとしても、本件初盆参りの実施状況は、被告人自身が一一九万円もの私費を投じ、例年を上回る五〇〇〇円の御仏前を全家庭に供えている点において、なお特異なものというべきであること、被告人の原審公判廷における供述によれば、被告人の全戸回りを望む市民の要望は、既に平成五年当時から出されていたというのに、選挙の年である平成七年に至ってこれを実施していることなどの事情に照らせば、本件初盆参りと市長選挙との関連が強く推認されるのであって、本件初盆参りが選挙とは無関係であるとする所論を採用することはできない。

(四)  所論は、被告人が、本件初盆参りにおいて、在日韓国・朝鮮人であるH方、K方、L方の三家庭を回らなかったのは、その地区の案内を担当した課長らが軽率な判断、対応をしたことによるものであって、被告人が、選挙権のないこれらの家庭を除外する意図であったものではない、というのである。

しかし、当日被告人を案内したP(原審検甲八二号)、R(同甲一一三号)の検察官に対する各供述調書(いずれも取調べ部分のみ)、Uの原審公判廷における供述によれば、PがH方を、UがL方を案内するに際し、被告人に対し、それぞれ在日外国人家庭であるH方又はL方に参るかどうか尋ねたところ、被告人自ら回らなくてもよい旨返答しており、その理由について、P、Uは、在日外国人に選挙権がないからであると理解していたこと、K方を案内することになっていたRは、事前に、運転手のGを通じ、総務課に対し、外国人家庭を回るのかどうかにつき確認する行動をとっていることなどの事実が認められること(Pは、原審公判廷において、右の認定に反する供述をしているが、その供述はあいまいであって信用することができない。)、被告人が全戸を回ることに決定した本件初盆参りの実施について、総務課から依頼されて被告人の案内を担当したにすぎない課長らにおいて、予定されていた初盆家庭への訪問を自らの判断で取り止めたとは到底考えられず、被告人は、L方については、Uが同人方を訪問するのに不都合があるのではないかと思って止めたというのであるが、予定された当日に訪問できなかった日本人の初盆家庭に対しては、日を改めて訪問するなどの措置をとっていることに対比すると、L方について、被告人の述べる理由から訪問しなかったというのは納得しがたいこと、被告人は、在日外国人であるV方には、同人が市の指名業者であった関係から初盆参りを実施しており、在日韓国・朝鮮人家庭の風俗・習慣の違いを考慮して、右三家庭に参らなかったとも考えがたいことなどの事情に照らせば、N総務課長やD秘書係長らが、捜査段階において述べるように、被告人が在日外国人家庭を訪問しなかったのは、選挙権がないためであると認めるのが相当である。

3  ところで、被告人を初め、本件初盆参りに携わった市職員であるN総務課長、D秘書係長、C企画財政課長補佐らは、捜査段階においては、被告人による本件初盆参りと市長選挙との関連を肯定する趣旨の下に、自己の考えや事実関係を供述していたものの、公判段階に至り、いずれもこれを否定する供述をしている。そこで、所論は、被告人や右職員らの捜査段階における各供述調書は、取調官が予断と推測を押しつけ、理詰めの質問をすることなどにより得られた供述を録取したものであり、供述者の真意を反映しておらず、信用性がない旨を主張している。

しかし、被告人は、捜査段階において、身柄を逮捕勾留されることもなく、在宅のまま取調べを受け、取調べが始まったのちの相当早い時期に、本件初盆参りは市長選挙との関連で行ったとの趣旨の供述をし、その際は、既に弁護士に相談していることも認められること(原審検乙二号)、その後もその趣旨を繰り返し供述しながら、当時の選挙情勢や本件初盆参りの実際について、具体的、詳細に供述しているばかりでなく、被告人自ら作成した平成七年一二月三日付「申立書」には「T市の全初盆家庭を訪問して御仏前を差し上げたのは今度の市長選挙、つまり本年一一月五日投票のT市長選挙でプラスになって私の票が期待できる、それに市民に敬意を表し、市民と触れ合いをもてると言う意味であり、それらの状況については本書をもって申し上げます。」との記載があること、捜査官に対する供述調書には、問答体の記載が多用されており、質問と被告人の供述を確認しながら、取調べがなされたことを窺うことができるうえ、調書の読み聞けののち、被告人自身が訂正の申し立てをしているものもあること(原審検乙二、一一、一二、一三号)、他方で、例えば、被告人が、在日韓国・朝鮮人家庭を参らなかったときの状況等については、案内者である課長らの供述とは異なり、その選挙権の有無とは無関係であるとの趣旨の供述をするなど、自己の言い分を維持している部分も見られることなどに照らせば、被告人の捜査段階における供述調書の内容が、捜査官の予断と推測等により被告人の真意が曲げられて録取されたものと見ることはできず、基本的に十分信用に値するというべきである。また、N、D及びCらは、原審公判廷において、取調べ時には、早く帰りたい一心で意に沿わない供述調書に署名押印した旨述べるものの、その信用性を損なう事情として、それ以外にさしたる事情をいうわけではなく、いずれも取調べにおいては、調書を読み聞かされたうえ、違っている部分があれば、申し出るよう告げられ、現に訂正の申し出をもしているのであるから、所論主張のようにその内容が真意によるものではないということはできず、同人らの供述調書の内容が相互に符合していることにも徴して、その信用性を肯認することができる(これに反し、被告人及び右Nらの、本件初盆参りの市長選挙との関連を否定する趣旨の当審及び原審公判供述は、公判段階に至り、そろって従前の供述を覆すものであり不可解であるうえ、その供述内容も、被告人においては、本件初盆参りが市長選挙と無関係であることを強弁しようとする姿勢を窺うことができ、他方、Nら三名は、捜査段階における供述との矛盾点等について、言葉を濁しあいまいに返答しているうえ、被告人をかばう態度を顕著に認めることができるのであって、これらをそのまま信用することはできない。)。

三  以上のとおりであって、本件初盆参りにおいて、被告人が初盆家庭に御仏前を供えたのは、当時予定されていたT市長選挙における自己の得票増を企図してなされたものであると認められるから、この点に関する原判決の認定に誤りはなく、論旨は理由がない。

第三  故意に関する事実誤認の主張について

所論は、本件初盆参りは、T市長選挙とは無関係に実施されたものであり、被告人の認識もそのようなものであったから、被告人には、本件寄附罪についての故意がなかったのに、これを認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのであるが、被告人が、平成七年一一月に予定されていた市長選挙における得票増を企図して、本件初盆参りにおいて、御仏前として現金五〇〇〇円を原判決別表記載の一六三名に寄附したことは、前述したところから明らかに認められるのであるから、被告人には本件寄附罪についての故意があったというべきであり、論旨は理由がない。

なお、所論は、本件初盆参りにおける御仏前の供与は、受寄附者において、公職の候補者等から供与されるものと認識しうる形態のものではなく、被告人も、そのような形態のものとは認識していなかったから、被告人には本件寄附罪の故意がなかった旨主張するが、後述のとおり、公職選挙法二四九条の二第一項、一九九条の二第一項の犯罪の成立には、当該寄附行為が、受寄附者において、公職の候補者等からの寄附であることを認識しうる形態のものであることを要しないものと解すべきであるから、この点に関する認識の有無が故意の成立に影響を及ぼすことはないというべきである。

第四  違法性の認識に関する事実誤認の主張について

所論は、被告人には、本件初盆参りにおける御仏前の供与が、公職選挙法に反する違法なものであるとの認識がなく、その認識の可能性もなかったのであるから、これを肯定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかし、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の六項において説示するとおり、被告人の市長としての経歴のほか、公職の候補者等による寄附禁止の強化が盛り込まれた公職選挙法の改正(平成二年二月一日施行)の際、その改正内容を説明する文書が何度となく被告人の閲覧に供されているうえ、S神社修復の関係で寄附金集めが行われた際にも、被告人は右寄附禁止が強化されることを認識していたこと、被告人が、平成七年九月の市議会定例会議において、選挙に関し「非常に厳しくなっていることは事実であります。お酒等を提供してはならないとかいうことで、乾杯も私共しませんでお茶の罐を一つずつ配ってお帰りになって頂くとか、非常に気を配っております。」などと答弁していることなどからして、被告人が、公職選挙法により公職の候補者等の寄附が厳しく制限されていることを認識していたものと認められるうえ、前示のとおり、被告人は、本件初盆参りに際し、市長選挙における自己の得票増を企図して、多額の私費を投じて御仏前を各家庭に供えるに当たり、事前に、D秘書係長に対し、御仏前に自己の個人名を表示したい旨告げて、その是非を検討させていることなどに照らせば、被告人には、本件寄附行為が違法であるとの認識があったと認めることができ、原判決にこの点の事実誤認はない。論旨は理由がない。

第五  受寄附者の認識に関する審理不尽、事実誤認、法令適用の誤りの主張について

所論は、公職選挙法二四九条の二第一項、一九九条の二第一項の犯罪の成立には、当該寄附行為が、受寄附者において公職の候補者等からの寄附であることを認識しうる形態においてなされ、受寄附者がそのように認識していたことが必要であると解すべきところ、原審は、そのような認識を要しないとの前提の下に、受寄附者の認識についての弁護人の立証活動を許さず、右公職選挙法の規定を適用して被告人を有罪としているのであって、原判決には、審理不尽による事実の誤認、法令の解釈適用の誤りが存し、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の四項において説示するとおり、公職選挙法の右規定の趣旨が、選挙の公正を確保するとともに金のかからない政治を実現しようとすることにあることに照らせば、右規定による寄附罪の成立には、当該寄附行為が、受寄附者において公職の候補者等からの寄附であることを認識しうる形態においてなされることを要せず、受寄附者がそのように認識していたことも必要ではないと解すべきであるから、原審がこの点の立証を許さなかったとしても審理を尽くさなかったということはできず、被告人の本件所為に公職選挙法の右規定を適用し、被告人を有罪としたことに、事実誤認、法令適用の誤りがあるとはいえない。論旨は理由がない。

なお、所論は、本件寄附罪と、これと対向関係に立つと想定される受寄附罪とは、必要的共犯(対向犯)の関係にあるから、受寄附者に公職の候補者等からの寄附であることの認識がない場合には、受寄附罪のみならずこれと対向関係にある寄附罪も成立しない旨主張するが、所論寄附行為は性質上寄附を受ける者の存在を予定しているという意味でいわゆる対向関係が認められるにすぎず、受寄附行為は公職選挙法上犯罪として規定されていないのであるから、両者は現行法上必要的共犯(対向犯)とはいえないうえ、受寄附者における所論主張の認識の要否は、同法の目的、趣旨に照らして、寄附罪につき独自の観点から考察すれば足りるというべきであるところ、上述のとおり、寄附罪の規定の趣旨からして、その成立には右のような受寄附者の認識を要しないと解すべきであるから、所論は採用の限りではない。

第六  結論

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂井智 裁判官 大原英雄 裁判官 林田宗一)

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